feature

INSIDE / OUTSIDE【008】Interview with 田附勝

interview

INSIDE / OUTSIDE【008】Interview with 田附勝

2011年、7月、一冊の写真集が発売された。
タイトルは『東北』。
この直球のタイトルに、今、日本に生きる私たちは目を背けざるを得ない。
そこに写し出されたものは、何百、何千年もの年月の間に醸成された土地の力と、その地に生き続けた人々の生々しい命の姿だった。
写真家の名は田附勝。
彼は過去に9年間、デコトラと呼ばれる日本のアンダーグラウンドカルチャーを撮り続けていた。
写真家の視線の先には、私たちが生きる社会のすぐ裏側に潜む、マグマのような生命の塊があった。

 

―まず、田附さんが写真を始められた経緯について教えてください。

俺は富山の出身なんだけど、じいちゃんによく映画を観に連れていってもらってたんだ。
その頃から映画は夢のある世界だと思っていて、高校を卒業して映画制作会社のアシスタントについた。
そこで数年働いたんだけど、映画はチームワークだからさ、いまいち自分に合わないと感じる時もあって。
ひとりでもできないかと考えていたとき、
当時の職場に近かった新宿紀伊国屋で写真集をよく見るようになって、写真に惹かれていったんだ。
それからSTUDIO FOBOSで2年くらいスタジオ勤めした後、高橋恭司さんの弟子になった。

 

―高橋恭司さんから影響を受けたものはありますか?

高橋さんはよく自分の写真を見せてくれたんだけど、俺は何も言わなかったんだよね。
だって、いいに決まってるから、悔しくてさ。
自分がいつかそこにたどり着かなきゃって思ってたんだ。
高橋さんは仕事に煩わしいことはどんどん排除していく人で、写真に向き合うストイックな姿勢を教えてもらった気がする。

 

―デコトラに出会ったのはいつ頃ですか?

写真を続けながらトラック配送のバイトをしていたとき、そのときの運ちゃんがものすごいデコトラマニアでさ。
デコトラのムーブメントがあることは前から知ってたんだけど、だんだんとそのシーンにハマっていったんだ。
撮影を始めて2、3年のうちは、彼らが集まる場所でポートレートを撮っていたんだけど、
あるデコトラのペインターと深く関わるようになってから、次第にデコトラに乗る人たちの生き様が見えてきた。

 

―デコトラに乗る人々の生き様とはどのようなものなのですか?

デコトラの文化が始まったのは高度経済成長期と言われていて、
高速ができて、どんどん地方から東京へ物資が流出するようになったのと同時に生まれた文化。
トラック配送業者というのは当然いい稼ぎではないんだ。
でも、彼らは子供の頃からデコトラに憧れて、何年もかけて自分たちのデコトラを作り上げていくことに誇りを持っている。
最高のデコトラを作るというのは勲章のようなものなんだ。
それは彼らの生き抜いてきた証だし、夢があるんだよね。

 

―写真集『東北』の民俗学者・赤坂憲雄氏の寄稿文にも『原色で飾り立てられたデコトラが、
刺青のようにも、青森のネブタ絵のようにも見えた』と書かれていましたね。
田附さんの撮るデコトラには、
室町時代のばさらものと呼ばれた文化や歌舞伎にも似た、文化の原石のようなものを感じます。

デコトラを撮っていくうちに、「日本」という姿が見えてきたんだ。
トラック業という職種や、デコトラにもそれぞれの時代が反映されていて、日本社会の表に出てこない部分が詰まっている。
車に子供の名前を入れたり、仲良くなった運転手は知らない間に俺の名前を入れてくれてたり、
そういう粋な感じとかさ、誇りとか、今の日本が失ってるものがあると思うんだ。
最近は規制も厳しくなってきてるから、あと5年くらいでなくなるかもしれない。

 

―デコトラを9年間撮り続けて、見えてきたのはありますか?

自分の中で写真への向かい方が定まってきた。
まだ深く関わらないうちは、デコトラの装飾的でグラフィカルな部分に視点がいってしまって、
まだそこに人が生きている気配がなかったんだよね。
でも、ひとりのペインターと知り合って深く関わるようになって彼らの生き様が見えてきたように、
個を知らないと全体がわからないということを肌身で感じたんだ。

―影響を受けた写真などはありますか?

昔、紀伊国屋の写真集売り場で見つけたカウボーイの写真集が好きだったね。
それと、ダイアン・アーバス。アーバスの写真って永遠じゃん。
彼女の写真にはそこに生きていた人から放たれる何かが写っていて、
誰しもが立ち止まって見てしまうエネルギーがある。

 

―アーバスが当時のNY社会の裏側に潜む人間の生々しさをとらえたように、田附さんが撮ったデコトラの写真にも同じ匂いを感じます。
社会の表層には出てこない人々の歴史や文化が写真となって残されていることは、貴重な人類史の一部になっていると思います。
その意味で、日本の「裏側」ともいえる東北の文化に惹かれていったのでしょうか。

スタジオ勤務時代に青森に行ったことがあって、そのときからずっと東北は気になっていた。
数年経って、デコトラ乗りの繋がりで、岩手で鹿猟をしている人を紹介してもらったのが始まり。
デコトラの時と同じように、ひとりの人物と深く付き合っていくうちに、その先の世界が見えてきたんだ。
東北については民俗学者・赤坂憲雄さんの本をいくつも読んでいて、気になる場所に出かけていったけど、
やはりその土地の持つ空気は行ってみないとわからないね。

オガミ様

 

―「おがみさま」と呼ばれる人々を撮るのに抵抗はありませんでしたか

彼女たちはこの地域でしか存在しない人々だよね。
被写体を撮るときにも抵抗感はあまりなくて、不思議と受け入れられているような感覚があった。
元々、祖父母の実家が青森だった縁もあって、この東北という地に強烈に呼ばれているような気がしたんだ。

森のカシマサマ

 

―「かしまさま」の写真はすごいですね。樹木とケモノが一体化しているように見えます。

名前の由来は「鹿島」、鹿島神宮から来ている。
鹿島神宮の本尊は坂上田村麻呂なんだけど、それは東北地域を制圧した将軍なんだよね。

 

―制圧された地域では、本来の信仰を隠すため、便宜上、当時の権力側の名を使うこともありますよね。

実際のところはわからない。
ただ、東北の撮影を続けると、彼らは自分たちのアイデンティティを隠しながら表現してきたということがわかってきた。
その中にこそ、必死に生きてきた人々の姿が垣間見えてくるんだ。
鹿猟とか、マタギとか、色々な人やモノに出会ったけど、
東北ではケモノもヒトも同列上に存在し、どちらも受け入れている土地ならではの生っぽさがある。
怪物のような存在がいまだに生々しく息を潜めているんだ。

 

―3.11震災後の東北を見て、どう感じましたか?

あれからもう何度も行っているけど、俺が撮ってきた岩手や宮城の一部地域は殆ど見る影もなくなっている。
でも、俺は外部の人間だから、まだ写真で何かできる段階じゃないと感じているし、ヘタに震災のドラマを作りたくない。
まだ、結論は出ていないかな。

 

―今後、撮りたいテーマや被写体はありますか?

真夜中の鹿を撮りたいと思ってる。
以前、岩手で夜の鹿を見せに山へ連れていってもらったことがあるんだけど、
ぱっとライトを照らした瞬間に現れた鹿が、とても神々しかったんだ。
あそこは決して人間が立ち入ることのできない夜の世界なんだよね。
日本はそういう場所とバランスを取って共存していたはずなのに、今は何かがずれている。
そして、崇高な夜の世界と同時に、自分が暮らす東京の昼の世界を撮ろうと思ってる。
ありのままに、日常を撮らなきゃいけないと。

田附さんが今後写し出す世界に期待しています。
またぜひ、『東北』の写真展も見てみたいです。ありがとうございました。

 

田附勝写真集『東北』

田附勝写真集『東北』

出版社:リトルモア

http://www.littlemore.co.jp/store/products/detail.php?product_id=811

interview: Arina Tsukada
photo: natsu
撮影協力:STUDY