現代アーティスト・谷口真人の個展をSUDAY ISUUEにて開催!
その名も「アニメ」。この直球な展覧会名に込められた意味は、会場で感じてください。
インターネット時代の感性を持った、新世代アーティストが描く世界をとくとご覧あれ。
2011,04,02 (Sat) ~04.10 (San)
Reception Party 2011.04.02 (Sat)19:00〜22:00
at SUNDAY ISSUE
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[以下詳細]
生きてきて出会った人々は、どんどんと記憶になり、空想と混じり合う。
確かに在るけれど、さわれない。
何かに媒介させなければ、現実世界ではもう出会うことができない。
私はそこに「存在」するということの不思議を見る。
谷口真人
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童話やアニメのキャラクター、アイドルなどの少女たちは、
身体を奪われ、消費され、代替可能なものとして不安定に存在し続ける社会のイコンである。
谷口が描く肖像には、そのかわいらしいアイコンの裏側に、儚く、崩れやすく、変容し、
実体をもたない「存在」が浮かび上がる。そこに「かわいらしさ」の本質が見出せると谷口は言う。
谷口の絵画表現は、身体を喪失した彼女たちの「存在」を抽象化し、
純度の高い透明な存在として、絵画のなかで再び生命を与える試みでもあるだろう。
しかし谷口は、普遍的に内在する「かわいらしい女の子」の姿を現実世界に抽出する一方で、
その対象を見つめる自分自身を乗り越えるかのように、絵の具をドロドロに固めたり、
描く際に自らを拘束する条件を強いるなど、
「イメージそのものには永遠に触れられないこと」へのメタファーとして、絵画自体の「物質性」を突きつける。
一見、矛盾する二重のまなざしが向けられるとき、その痛切な摩擦によって、
より深い「存在感」を私たちに残しているのだ。
また、今回の展覧会タイトル「アニメ」には様々な意味が内包されている。
animation の語源である「anima(魂)」、転じて「animation( 絵に動きを与えて命を吹き込むこと)」の意、
そして「anime」とは、簡略化された和製英語が意味を持ち、
近年では「日本製のアニメーション」そのものも示す。
ここでは、その言葉がもつ多義性に作品や作家自身の態度を重ねている。
ゲストキュレーター
塚田有那
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